白玉饅頭作成風景

元祖吉野屋

白玉饅頭の誕生

吉野屋外観
明治15年に佐賀市で材木業を営んでいた初代吉村清兵衛が、避暑地としてにぎわっていた川上峡名物として、白玉饅頭を売り出しました。
当時の川上峡は屋形船も多く出ていて、多くの人が集まっていました。それを見た初代清兵衛が多くの人たちに何か喜んでもらえる商売がないかと考え、400年前からお祭りやお祝い事用として地元に伝わっていた「まんじゅう」を白玉饅頭として商品化しました。

由緒ある献上ひな菓子

神社
白玉饅頭の由来は、神功皇后の妹、與止日女(よどひめ)が川上神社に参られた際に献上された離菓子で「この様に白く玉のような子供を授かりたいものだ」と言われたことから、白玉饅頭と名付けられました。

受け継がれた140年以上の歴史

白玉饅頭の粉をこねる
その後二代目 義平、三代目 清八、四代目 義治、五代目の義清と受け継がれ、現在は現経営者の六代目の正則が現場を切り盛りしており、140年以上もの長きにわたってその味を守り続けています。
その間、添加物を使用しないこだわりの製法は一切変えることなく、佐賀産の厳選した上質米と北海道の小豆あんを秘伝の製造方法で作った白玉饅頭は、今では佐賀、川上峡の名物として皆様に可愛がってもらっています。

シュガーロードと白玉饅頭

白玉饅頭のルーツは中国南部の紹興団子(しょうこうだんご)にあるといわれています。また、朝鮮半島にも同じような松片(ソンピョン)という米の菓子があります。
紹興団子はゴマあんを入れるのが特徴ですが、外見は白玉饅頭にそっくり。古くから米文化が栄えた中国南部では家庭料理として親しまれています。
日本ではもちを食べるのは正月や慶事ですが、朝鮮半島では日本のお盆にあたる秋夕(しゅうせき)に松片をたべるそうです。
中国、朝鮮半島、日本と広く伝わってきた白玉饅頭は三国の文化交流のシンボル的なお菓子です。

受け継がれた伝統とこだわりの技を守ります

初代吉村 清兵衛

明治初め、手広く木材屋をしていた清兵衛は観光客でにぎわう川上峡で、何か喜んでもらえるお土産はなかろうかと思い、昔から川上でお祝い事やお祭りのときに作られていた伝統の菓子を商品化します。それが今も川上峡名物として親しまれている白玉饅頭です。

二代目吉村 義平

素材の持ち味を生かす為、初代に引き続き工夫を重ね、吉野屋のこだわりの白玉饅頭作りに励みました。
川上峡のお土産として定着し、お店にもにぎわいをみせます。

三代目吉村 清八

中でもこの清八は、こだわりが強く気性も激しかったようで、せっかくこねた生地を気に入らなければ惜しげもなく捨てていたそうです。その生地作りに対するこだわりは、現在にもしっかりと受け継がれています。

四代目吉村 義治

とても気のいい義治は、お世話好きで、自転車で転んだ学生を病院へ運んであげたり、面倒見が良かったようです。平成の時代にその学生さんがお礼を言いに来てくれました。

妻 ソヨ

戦中戦後、物資のない時代に、戦争へ行った義治の代わりに、やみ米でお店をなんとか続けてきました。戦時中に食べた白玉饅頭が懐かしいととても喜ばれました。

五代目吉村 義清

先代達のこだわりの白玉饅頭を自分の代で味を落とさぬ様にと原材料から見直し、元祖吉野屋の白玉饅頭に合うお米を農家に作ってもらい、よりおいしい白玉饅頭づくりに励みました。

六代目吉村 正則

一からの修行を受け、白玉饅頭伝統の生地作りを守り続けています。
そして、平成18年、お客様のご要望にお応えし、冷凍白玉饅頭を発売しました。
今も昔も変わらぬ製法と味を守るため日々精進しています。